失われた時を求めて
- 2022.08.08
フランスの小説家マルセル・プルーストは、もっぱらたったひとつの作品によって記憶されています。
しかし、そのわずか一作によって彼の評価は不動のものとなりました。
その巨編小説『失われた時を求めて』は、今も20世紀文学の最高傑作のひとつであり続けています。
プルーストは、パリの裕福な家庭で生まれ育ち、大学では文学と法律を徹底的に学びました。
若いころから華やかな社交界に出入りし、ベルエポック (美しい時代) と呼ばれた19世紀末にパリのエリートたちが集う場所に足しげく通っていたそうです。
1896年に最初の短編集を刊行したあと、プルーストは自伝的小説 『ジャン・サントゥイユ』 を執筆し、これが後の傑作の基礎となりました。
健康状態が悪化し、両親の死の深い悲しみも癒えぬ中、プルーストは1909年に『失われた時を求めて』の執筆を開始しました。
この小説は、まさしく巨編で、長さは3000ページ以上あり、登場人物は2000人を超します。
1913年から1927年にかけて七篇に分けて出版された本作は、それまで世に出た、どの小説とも違っていました。
実際、いくつかの出版社は第一篇の原稿を持ち込まれたものの、どうしていいか分からず出版を断っています。
『失われた時を求めて』 は、 基本的には自伝的小説で、あらすじは、ひとりの青年が、どのようにして今の自分になったのかを探し求め、 若いころの記憶を取り戻して追体験し、最終的に小説を書く準備をするというものです。
文学作品であると同時に、哲学的・心理学的な著作でもあり、物語の途中で語り手は、愛、 アイデンティティー、 セクシュアリティーの曖昧さ、美学、芸術など、さまざまなテーマについて考察していきます。
大半の人は語り手をプルーストの分身だと思っていますが、プルーストは、読者が著者と語り手を同一人物と見なすべきかどうかについて、答えを曖昧なままにしています。
タイトルが示しているように、この小説は時間と記憶に深い関心を寄せています。
プルーストは、時間とは特定の形を持たずに流れていく一個のまとまりであって、いくつもの瞬間が順序正しく並んで直線的に進んでいくものではないと考えていたようです。
それまで失われていた記憶が何かの感覚がきっかけとなって、語り手の脳裏にパッと戻ってくることも多く、特に有名なのは、語り手が、以前よく紅茶に浸して食べていたマドレーヌを味わった瞬間、子ども時代の経験を鮮明に思い出すという一節です。
こうした試みはプルーストの死後も長く受け継がれ、数えきれぬほどのモダニズム作家たちが、 記憶と時間についてプルーストが考えたことを、自身の代表作でさらに深化させていくことになります。