意外と知らないウィンストン・チャーチル
- 2022.08.18
ウィンストン・チャーチル (1874~1965) は、第二次世界大戦を勝利に導いたイギリスの政治家です。
戦争が始まるまで、 チャーチルは多くの人から無能と見なされていました。
彼のキャリアは、第一次世界大戦でイギリス軍が犯した作戦失敗の責任を取らされた時点で実質的に終わっていました。
1920年代に内閣の一員を務めていましたが、ドイツでアドルフ・ヒトラーとナチ党が権力を握ったころには、チャーチルは国会の平議員にすぎず、ヒトラーの台頭に警告を発しても、同僚議員からは取り越し苦労の厄介者と見なされ、無視されていました。
イギリスがその命運をチャーチルに託したのは、国が苦境のどん底にあった時期でした。
第二次世界大戦が始まったときは、保守党党首のネヴィル・チェンバレンが首相を務めていましたが、国の存亡を賭けた戦争で国家を率いる器でないことが明らかになり、 1940年に辞任しました。
それに代わってチャーチルが、イギリス首相官邸の主になりました。
第二次世界大戦の序盤は、連合軍の連戦連敗でした。
1939年から1940年前半、ナチスドイツの軍隊は、ポーランド、デンマーク、ノルウェー、 ベルギー、 オランダ、ルクセンブルク、フランスを次々と侵略しました。
フランスを守る援軍として派遣されたイギリス軍は、ドイツ軍に追いつめられ、1940年にヨーロッパ大陸からの撤退を余儀なくされました。
この時点では、アメリカとソ連は中立を守っていたため、イギリスはナチスドイツの猛攻に立ち向かう唯一の軍事大国となりました。
首相となったチャーチルは18か月にわたり、イギリスは事実上孤立無援ながらナチスドイツの攻勢に耐え抜いたのです。
ソ連は、ヒトラーの侵攻を受け、1941年に参戦し、アメリカも同年末に加わりました。
数えきれないほどの印象的な演説で、チャーチルはイギリス人と占領下にあるヨーロッパ諸国民に向かって、 ナチスと戦えと鼓舞し続けました。
やがて連合軍はドイツ軍の進撃を食い止め、1944年のノルマンディー上陸作戦により、形勢はナチスドイツ不利へと完全に逆転しました。
これだけの活躍を見せたチャーチルとイギリス軍ですが、戦後、イギリスの莫大な負債をアメリカが肩代わりすることで、世界の覇権はイギリスからアメリカへと移ることになりました。