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ざっくりパブロ・ピカソの歩み

2022.08.27

ざっくりパブロ・ピカソの歩み

パブロ・ピカソ (1881~1973) は、最も有名な20世紀芸術家のひとりでしょう。
80年近い画家人生を通じて、 多種多様な様式を生み出し、最も多作で多才な画家と言えるのではないでしょうか。

スペインのマラガで生まれたピカソは神童でした。
美術教師だった父は、幼い息子の才能を見抜きました。
1900年にピカソは、当時、前衛芸術の中心地だったパリへ行き、1901年に親友が自殺すると、以後ピカソは「青の時代」に入りました。
この時期のピカソは、主題とした悲しみや貧困を表現するためさまざまな青い影を使った絵画を描きました。

1904年、 ピカソは暖色を使うようになって「ばら色の時代」に入り、サーカスの芸人や道化師の絵を集中的に描き始めました。

1907年、ピカソは自身初のキュビスム作品『アヴィニョンの娘たち』を制作しました。
この作品では、西洋絵画における女性美の基準から離れ、人物像のモデルとして、ポリネシア、イベリア半島、 およびアフリカの彫刻を使っています。

ルネサンス以来、当たり前に使われてきた技法である一点透視図法による遠近法を排除し、ピカソとキュビスムの同志であるジョルジュ・ブラックは、 美術の進む道を完全に変えた言えるでしょう。

ピカソは、自らの様式や絵画への取り組み方を常に見直し続けました。

例えば1917年、 彼はモノクロだったキュビスム的絵画に再び色彩を取り入れ始め、その後 『三人の音楽家』 (1921年)では、キュビスム的な要素を、鮮やかな色彩や生き生きとした模様と組み合わせることで、人物像の躍動的なリズムを表現しようとしました。

1920年代後半になると、ピカソはシュルレアリスム運動に関わるようになりました。
変身というコンセプトに興味を抱き、1930年代には半人半獣の生き物の絵を描きました。
この時期にピカソは、詩やシュルレアリスム的な戯曲 『しっぽをつかまれた欲望』も書いています。

1930年代半ばにスペイン内戦が勃発すると、ピカソの作品は政治色を濃くしていきました。その中で最も有名な絵画 『ゲルニカ』 (1937年) は、 バスク地方の小さな町が、ファシストであるフランシスコ・フランコ将軍の命を受けたドイツ軍爆撃機によって壊滅する様子を描いています。

第二次世界大戦中、ピカソはナチスの占領するパリで過ごしましたが、その名声のおかげで迫害されることはありませんでした。

ピカソの創作エネルギーは、年を取っても衰えず、彼は死ぬまで制作し続けました。

1973年、ピカソが遺言を残さずに亡くなると、フランス政府は彼の作品の多くを相続税として徴収し、 それをもとにパリにピカソ美術館を開いのです。

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