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ざっくり「毛沢東」の歩み

2022.10.20

ざっくり「毛沢東」の歩み

毛沢東(1893~1976)は、1949年に共産主義国となった中国を自分が死ぬまで支配し続けた人物です。
毛沢東は、中国を近代化しましたが、その過程で膨大な数の命が犠牲となりました。
推計によると、混乱が続いた毛沢東時代には、数千万の中国人が飢え死にしたり処刑されたりしたといいます。
現代中国の指導者たちは、毛沢東思想の大半を採用していませんが、世界で最も人口の多い国を統一し、西洋列強による屈辱の時代を終わらせた人物として、今も謎に尊敬されています。

中国農村部で農家の子として生まれた毛は、 1920年代に若き中国知識人たちの多くと同じく共産主義を信奉していました。

当時中国は、大日本帝国の脅威にさらされていましたが、国内は分裂していて侵略に抵抗できる状態ではありませんでした。
毛は学校の教師でしたが、やがて全精力を政治に注ぎ込見始めます。

1920年代後半から第二次世界大戦の勃発まで、共産党の軍事組織である紅軍は、日本軍と、中国国内の他の勢力の両方と戦っていました。
この時期にゲリラ戦の指導者として活躍していた毛は、のちに毛沢東主義と呼ばれる過激な政治思想を体系化しました。

やがて紅軍が勝利し、1949年、 毛沢東を指導者とする中華人民共和国が成立しました。

国家運営は、共産主義者たちにとっては新たな挑戦でしたが、その結果は、往々にして悲惨な大失敗となりました。

例えば毛は、1958年に「大躍進」のスローガンのもと中国の工業生産を増加させようとして失敗し、これによって3000万もの人民が死亡しました。

1966年には、いわゆる「文化大革命」を開始し、資本主義や宗教の影響を根絶しようとしましたが、その結果、数十万人が死亡し、中国の歴史遺産の多くが破壊されました。

それでも当の毛沢東は、 「偉大な舵手、 毛沢東主席」 と呼ばれ、支持者たちから事実上の個人崇拝を受けていました。

西洋では、毛沢東は左派から多くの支持者を引きつけ、毛沢東主義は、いくつかのゲリラ運動に影響を与えましたが、その統治の残忍さと破壊ぶりに多くの人が驚愕しました。

毛沢東の死後、ようやく中国は共産主義的な政策を廃止し始めました。

実質的に資本主義国となった中国は、毛沢東がもたらした国家統一の上に発展を続け、 世界の超大国として頭角を現してきています。
最近はその成長にも陰りが見えてきましたが、果たして。

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