サイ・ヤング賞の「サイ・ヤング」とは
- 2023.05.20
サイ・ヤングの名は野球の優れたピッチャーと同義語になっています。
本名デントン・トゥルー・ヤング(1867~1955)はオハイオ州の農家に生まれ、偉大な右投手として大リーグで22年間活躍し、勝利数(511)敗北数(316)投球イニング数(7356)先発試合数(815)、完投数(749)通算最多記録を持っており、これらの記録は今後も破られることはほぼないでしょう。
ヤングが活躍したのは1890年から1911年で、当時、野球はまだ創成期にありました。
この時代、ピッチャーは今では考えられないほど多くのイニング数を投げ、リリーフ投手と交代することもほとんどありませんでした。
例えば1892年、25歳だったヤングが投げたイニング数は、何と453でした(今日の試合では、リーグで最も多い投手でも1シーズンの投球イニング数は250ほどです)。
ヤングは5チームでプレーし、30勝以上を5回、20勝以上を15回マークしました。
1901年、ナショナル・リーグ(NL)のライバルとして新設されたアメリカン・リーグ(AL)の初シーズンで、ヤングは新たに創設された球団ボストン・アメリカンズに所属してキャリア最高のシーズンを送りました。
この年、彼は勝利数(33)防御率(162)奪三振数(158)リーグ1位となりました。
その2年後、ボストン・アメリカンズ(後にレッドソックスと改称)の投手として、ALとNLそれぞれの優勝チームが対戦する第1回ワールドシリーズに進出し、ピッツバーグ・パイレーツを相手に2勝を上げてボストンの初優勝に貢献しました。
1904年には、対フィラデルフィア・アスレチックス戦でAL史上初の完全試合を達成して、その伝説に新たな1ページを加えました。
ヤングは1911年シーズンが終わると引退し、1937年に野球の殿堂入りを果たしました。
現在では、アメリカ野球記者協会の投票を基に、毎年ナショナル・リーグとアメリカン・リーグそれぞれの最優秀投手にサイ・ヤング賞が与えられています。