集団失踪事件
- 2020.03.04
単なる行方不明、失踪であれば日本でも年間8万人以上が行方不明になり、捜索願いが出されています。
ここでご紹介するのは普通の行方不明とは少し異なる不可解な事件です。
■アンギクニ湖の集団失踪
1930年11月、野営の場所を探していた毛皮猟師のジョー・ラベルは、カナダ、ヌナブト準州にあるアンギクニ湖付近でイヌイットの集落に遭遇した。鍋の下の薪には火がついており、中身が焦げ付いていたが、30戸強の住人の姿はどこにもなかった。
住居にはまだ私物が残されており、食料の備蓄もたくさんあったそうです。
通報を受けた警察の調査によると、集落周辺にあった墓地はすべて暴かれており、遺体も消えていた、とのこと。
カナダ警察によって2度の捜索がなされ、今もなお未解決の事件と言われていましたが…
妙に有名なこの事件、実際には、超常現象作家のフランク・エドワーズが著書の『Stranger than Science』という本に書いた話に、勝手に尾ひれがついて広められたものだそうです。
それに王立カナダ騎馬警察は1930年の集団失踪事件の発生を否定しており、そもそも、アンギクニにイヌイットの村など最初から存在せず、地元の猟師や騎馬警官も誰もそんな事件の話はないと主張しているそうです。
■ロアノーク植民地の入植者の集団失踪
イングランドからの移民が最初に入植した地の1つ、現在のノースカロライナ州にあたるロアノーク。
植民地の統治者だったジョン・ホワイトが補給のためにヨーロッパに戻り、3年後再び帰還すると、集落は完全に荒廃していた、とのこと。
多くの仮説では、入植者は植民地の南にいたクロアトアン族の犠牲になったと推測されています。
■メアリー・セレスト号
1872年12月、ニューヨークからイタリア、ジェノヴァへ出航したメアリー・セレスト号は、大西洋の中央部に位置するアゾレス諸島沖740キロの地点で漂流しているところを発見されました。
船員は誰一人おらず、生存者の痕跡はありませんでした。
海賊の犠牲になった、と誰もが思うところですが、積荷も船員の物資もそのまま残っていました。
失踪の原因は全く不明。
■️USSサイクロプス
第一次世界大戦中、1918年2月、ブラジルの港を出港したUSSサイクロプスは、3月3日までにバルバドスを出たことは確認されています。
しかし、それを最後に船員300人と乗員ともにUSSサイクロプスは姿を消します。
救命信号などは受信しておらず、失踪の原因は不明。
■オエル・ベルデ村
1923年2月、ブラジルのオエル・ベルデ村に数人のグループが足を踏み入れると、誰もいないことが判明した、とのこと。
所持品や食料は全て残っていたそうです。
(どうして全てだと分かるのでしょう?)
失踪したのは約600名と言われていますが、これも、なぜ600人と推定できるのか根拠に乏しい情報です。
この村に関しては「一夜にして人が消えた」と言われていますが、ゲリラ戦に巻き込まれることを嫌い、村を捨てたとも考えられています。
誰かの創作に尾ひれがついたものも多くありますが…
とはいえ、集団失踪する時は置き手紙くらいは用意しましょう。
それくらい、失踪する際の最低限のマナーです。