ざっくり有名なファラオ・クフを解説
- 2023.03.02
古代エジプトのファラオであるクフ (前2609頃~前2566頃) は、 高くそびえ立つ石灰岩のモニュメントを墓として造り、自らの偉大さを示したいと構想していました。
そこで、 死後の世界へ旅立つクフの魂を守り、23年に及んだその統治を世に知らしめるものとして、 砂漠の中に巨大なピラミッドを建造させました。
クフの期待にたがわず、 世界は彼を忘れていません。
壮大な「ギザの大ピラミッド」 は、クフのピラミッドとして誰もが知るところでしょう。
このピラミッドは、大勢の労働者を動員し、クフのほぼ一生涯に近い時間を費やして建造されました。
古典古代における 「世界の七不思議」 のひとつでもあり、 造られた当時、地上で最も高い人造の建物でしたが、その記録は以後4000年近くにわたって塗り替えられませんでした。
しかし、ピラミッドに情熱を注いでいたということ以外に、クフについて知られていることはほとんどありません。
クフはスネフェル王の息子として生まれ、エジプト第四王朝の二人目のファラオとなりました。
スネフェル王の死後、 まだ20代のときに即位しています。
エジプト南部のヌビア地域と、西側のリビアへ軍事遠征を行った可能性があります。
ピラミッドが宗教的に重要視されたのは、古代エジプトの人々が来世を信じていたことによると考えられています。
古代エジプトの信仰では、 ファラオは生き神で、ファラオが地球上での死を迎えたとき、 昇天を助けるための場所がピラミッドだったのです。
クフの大ピラミッドは、ギザのピラミッドの中で最初に建造され、 かつ最大のものです。
クフはほかにも、 妻たちや親戚の墓として小さなピラミッドを造っています。
クフのあとに王位に就いたファラオのうちふたりは、クフのものの近くにピラミッドを造っています。
ピラミッド建造に使われた石灰岩のほとんどは、 近辺で採掘され、ナイル川をいかだで運ばれました。
これらの石灰岩の塊は2~3トンもの重さで、巨大な傾斜路を用いて建設現場に運び上げられたとされます。
その他の材料は、遠くはレバノンから運ばれました。
クフは40代半ばごろに死去し、ミイラにされ、ピラミッドの奥深くへ埋葬されました。
ピラミッドの外装の岩は数千年のうちに剥ぎ取られましたが、この大ピラミッドはクフの意図したとおり、現在もおおむね完全なまま残されています。
クフの大ピラミッドの建造には、約230万個の切り出した石灰岩が使われました。
石灰岩は重いものでは15トンのものもあり、ピラミッドの総重量は600万トンほどもあります。
クフの正式な名はクヌム・クフ・ウイで、「クヌム神は我を守りたもう」を意味します。
クヌムはナイル川をつかさどる古代エジプトの神のことです。
ナイル川は、古代エジプトの農業と商業に必要不可欠な存在でした。
クフの大ピラミッドのそばにある、 ライオンの体と人間の顔を持つ 「ギザの大スフィンクス」は、クフの息子のカフラー(前2558頃~前2532頃)が建てたものと考えられています。