盗賊アメンパヌファ
- 2023.03.25
アメンパヌファは、古代エジプトのファラオの墓を荒らした大胆な盗賊で、 紀元前1111年ごろに捕らえられました。
古代エジプト社会では、墓の盗掘は特に重罪であると見なされていました。
アメンパヌファの逮捕に続く拷問と自供の様子は、歴史上で最古の裁判記録のひとつとして残されています。
後世の歴史家たちは、その裁判の記録から、当時のエジプト政府の力が徐々に弱まっていたことを知ることができました。
アメンパヌファの生きた時代には、エジプト王たちの神聖な墓は、もはや警護しきれなくなっていたのです。
裁判記録によると、 アメンパヌファはテーベ付近の採掘場で働く石工でした。
7人ほどの仲間と共に、 ファラオのほとんどが埋葬されている 「王家の谷」 で次々と墓を荒らし、王のミイラと共に埋葬されている黄金や装飾品を奪いました。
墓の盗掘は死刑に値する罪でしたが、その時代、 アメンパヌファとその一味以外にも、墓の盗掘をする者は大勢いました。
「王家の谷」 で雇われていた職人の多くが盗みに加担していたと考えられています。
特にラムセス九世の即位後、職人に給与が払われなくなってからは、そういった犯罪者が増えました。
アメンパヌファは、逮捕される何年も前から盗掘が 「癖になった」と自供しています。
役人の多くは、盗掘を知りながらも喜んで見て見ぬふりをしたそうです。
アメンパヌファは裁判で、以前にも王墓の盗掘をしていたところを捕まったことがあったが、 地元の役人に賄賂を渡して見逃してもらったと明かしています。
アメンパヌファが再び捕まることになったは、盗掘を調査する王立委員会をファラオが作らせたからでした。
アメンパヌファが盗掘を自供した墓は、 それより500年ほど前に王位に就いていたセベクエムサフ二世のものでした。
アメンパヌファは拷問により自供を強要され、盗掘の詳細を話しました。
その記録が書かれたパピルスの巻物が19世紀に発見されています。
アメンパヌファがどのように処刑されたのかは明らかではありませんが、古代エジプトの人々は、墓の盗掘は神々に背く犯罪だと考えていて、無情な処刑が行われるのが普通でした。
アメンパヌファの処刑はかなり残酷なものだったらしく、30年後、同じく墓の盗掘の罪に問われた別の罪人が、アメンパヌファたちの処刑を引き合いに出してこう述べています。
「私はあの墓荒らしたちに科された罰を見ました…、私もあのように死ぬんでしょうか」