生類憐れみの令の本質
- 2020.04.07
江戸幕府の五代将軍、徳川綱吉が出した「生類憐れみの令」は、現代ではそれほどの悪法ではなかったと言われています。
むしろ、斬り捨て御免や口減らしのための子どもの間引きなど、人名軽視を何とも思わなかった、それまでの日本の風潮を変えさせたきっかけとして評価する見方も多くなっているのです。
そもそも、「生類憐れみの令」の本質は、人間の子どもを対象にした「捨て子禁止令」で、犬だけを過度に大切にするお触れではありませんでした。
また、住民も厳守して苦しんでいた訳ではなく、地方ではほとんど無視していたり、魚釣りは大っぴらにやらない程度で、その取り組みはかなりいい加減なものだったようです。
逆にあまり守られないからこそ25年間に130回もお触れを出していた訳です。
さて、そんな時代、綱吉が花見をしているとき、綱吉にフンをかけた鳥が捕まえられたことがありました。
綱吉は腹を立てたそうですが、「生類憐れみの令」の手前、殺すわけにもいかず、結局、牢に監獄した後、八丈島に運んで放すという「島流し」にしたそうです。