シェイクスピアの謎多き生涯
- 2020.06.22
シェイクスピアが生まれてから亡くなるまでの確実と言われる情報は、その名声とは裏腹に物凄く少ないです。
1. 1564年にイングランド王国のストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれる。
2. 父ジョン・シェイクスピアはスニッターフィールド出身の成功した皮手袋商人で、町長に選ばれたこともある市会議員。
3. 正確な誕生日は不明なものの、1564年4月26日にキリスト教の洗礼を受けたことが記録されている。
4. 1582年11月29日、18歳のシェイクスピアは26歳の女性アン・ハサウェイと結婚。
(結婚後、ロンドンの劇壇に名を現わすまでの数年間に関するその他の記録はほとんど現存していない。)
5. 1592年ごろまでにシェイクスピアはロンドンへ進出し、演劇の世界に身を置くようになっていた。
6. 1594年の終わりごろ、シェイクスピアは俳優兼劇作家であると同時に、宮内大臣一として知られる劇団の共同所有者ともなっており、同劇団の本拠地でもあった劇場グローブ座の共同株主にもなった。
7. 1616年4月23日に52歳で没した。
このように箇条書きでサラッと書けてしまう程、情報が少ないため色々な憶測がありますが、当時、役者や劇作家は地位の低い仕事で、貴族の名前を借りないと家も借りられないような状況だったようです。
ただし、上に書いたように、劇団の上演の収益のみならず、劇場の共同所有者として賃貸料の配当を受けていたため、他の劇作家と違ってお金持ちだったようです。
■シェイクスピア別人説
多くの名声を集め、当時から有名人だったにも関わらず手紙一枚発見されていないような情報の少なさから、シェイクスピアという人物の存在に疑問を呈した説も多く存在します。
ウィリアム・シェイクスピア、という共有のペンネームを用いた作家集団によって書かれたものではないか、という説やフランシス・ベーコン(貴族)やクリストファー・マーロウ(劇作家)、エドワード・ド・ヴィアー(戯曲も書く貴族)といった同時代に関わりがあったであろう人物だという説も多く存在します。
シェイクスピア別人説を唱える人の根拠は
1. シェイクスピアの個人史には所々大きな空白部分がある。
2. シェイクスピア自身によって書かれた手紙が存在しない。
3. 詳細に書かれたシェイクスピアの遺言書が現存するが、そこには本や戯曲や詩、その他いかなる書き物についても言及されていない。
4. 自分の芸術に関する持論を1つも表していない。
5. 署名が4通りもあり、どれ1つとして似た書体ではない。
6. そして、シェイクスピアの人となりについてはほとんど何も知られていない。
というものです。
遺言書はかなり細かくどの品物を誰に遺すのか記載されているのですが、自分の著作に関しては全く触れられていません。
いかがでしょうか。
歴史に名を残す人というのは、死後も物議を醸すことができる人なのかもしれませんね。