意外と知らないイマヌエル・カント
- 2022.08.12
イマヌエル・カント (1724~1804) は、 当時プロイセン領だったケーニヒスベルク (現ロシア領カリーニングラート) に生まれました。
終生その地で暮らし、生まれた町から遠くへ出かけたことは一度もありませんでした。
馬具職人の息子だった彼は、ケーニヒスベルク大学の教授に出世し、のちにドイツ最大の哲学者と見なされるようになりました。
中年期まで、カントは注目されるような業績は何も挙げていませんでしたが、比較的高齢の57歳のとき、最も有名な著作 『純粋理性批判』 (1781年)を刊行しました。
『第一批判』とも呼ばれる同書でカントは、形而上学は、世界がそれ自体どのような姿をしているのかを説明するのではなく、私たちが世界をどのように経験しているのかを説明する場合にのみ、科学的になれると主張しました。
世界がそれ自体でどのような姿をしているのかを、私たちは絶対に知ることができないと。
例えば時間と空間は、 世界それ自体の客観的な特徴ではなく、私たちの経験の形式だとカントは論じています。
『第二批判』こと『実践理性批判』 (1788年) でカントは、すべての人に適用される普遍的な道徳法則が存在し、その道徳法則が、私たちが何をしたいかに関係なく、私たちが何をすべきかを命じるのだと主張しました。
この道徳法則が、 私たちに自由意思があることを示し、善なる神が存在することと、死後の世界が存在することを信じる理由を与えてくれると論じています。
もちろん、『第一批判』で示したとおり、私たちが自由であることも、神が存在することも、死後の世界が存在することも、私たちは決して知ることはできません。
そのためカントは、「信仰の場所を作るために、知を破棄しなければならなかった」 と書いています。
カントの著作は、これ以外にも 『判断力批判』(1790年) や、 道徳哲学や政治哲学、宗教、美学、歴史、自然科学などについての短い著作や評論が数多くあります。
カントの言う 「批判体系」 は、 自然科学と道徳と宗教を合理的に正当化すると同時に、 人類が確実に知ることのできる範囲に制限を加えることを目的としています。