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ジャクソン ・ポロックの歩みとドリップペインティング

2023.02.17

ジャクソン ・ポロックの歩みとドリップペインティング

ジャクソンポロック (1912~1956) と言えば、 「ドリップ」 ペインティングで有名な人です。

彼は巨大なキャンバスの上に絵具をこぼしたり飛び散らせたり垂らしたりして作品を作っていました。

この手法を彼は 「アクション・ペインティング」と呼んでいました。

芸術作品は外界のテーマを表現したものでなく、それ自体で独立したものとして鑑賞されるべきだと訴えたポロックは自分の絵画は何かについて描いたものではなく、最も純粋で独立した形式の絵画だと主張していました。


ポロックは、ワイオミング州コーディで、 ステラ・メイ・マクルアとルロイ・ポロックのあいだに、 男ばかりの五人兄弟の末っ子として生まれました。

子ども時代をカリフォルニア州とアリゾナ州で過ごし、ロサンゼルスのマニュアル・アーツ高校に通っていたとき、 現代美術と出会いました。

1929年、 ポロックはニューヨーク市に移り、同市にある美術学校アート・スチューデンツ・リーグに入り、地方主義の画家トマス・ハート・ベントンの下で学びました。

ポロックの初期の作品には、アルバート・ピンカム・ライダーや、メキシコの壁画作家ホセ・クレメンテ・オロスコとダビッド・アルファロ・シケイロスの影響が見られます。

大恐慌時代、ポロックは極貧生活を送りますが、1935年、雇用促進局の連邦美術計画に雇用されました。

1937年、ポロックはアルコール依存症のため精神科の治療を受け、その治療で彼のデッサンを分析したセラピストたちが、 ポロックにユング派心理学について教えました。

以後、 ポロックは夢の象徴や無意識に夢中になっていきました。

1945年、 ポロックは芸術家リー・クラズナーと結婚しました。

夫婦はロングアイランドのイーストハンプトンに移り、 2年後、 そこでポロックは最初のドリップ・ペインティング 『五尋の深み』を制作。

ドリップ・ペインティングは、一見でたらめに見えますが、じつは細心の注意を払って制作されていたそうです。

切っていないキャンバスを床に広げると、 ポロックはキャンバスに、絵具を棒やスポイトや絵具をたっぷり含ませた筆で、はね散らします。

それから慎重にキャンバスを持ち上げてペンキを流し、バランスの取れた構図にします。

それで絵具が乾いたら、キャンバスを切ってフレームをつけたのです。

アクション・ペインティングでポロックは、絵画以外の何物とも関係を持たない純粋な絵画を制作できる方法を発見しました。

その意図を明確にするため、作品にはタイトルではなく数字をつけるようになりました。

そうすることで鑑賞者に、テーマではなく絵そのものに集中してもらおうと考えたのです。

ポロックにとって、 実際に絵を描く行為は、完成作品と同じくらい重要でした。

この点で、彼は1950年代と1960年代にパフォーマンス・アートやハプニングを実践した芸術家たちの重要な先駆けでした。

1951年、 ポロックは再び大量に酒を飲むようになり、健康が損なわれていく中、 彼は芸術界で足場を維持しようと懸命でしたが1956年夏、 自動車を運転中、木に激突して即死してしまいました。

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