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ざっくりネルソン・マンデラを解説

2023.02.23

ざっくりネルソン・マンデラを解説

「私は白人支配に対して戦ってきたし、黒人支配に対しても戦ってきました。私は、すべての人が、平等な機会を与えられて仲よく一緒に暮らす民主的で自由な社会という理想を胸に抱いてきました。それは、私の生きる目的であり、実現させたいと願う理想なのです。 しかし、必要とあらば、 その理想のために死ぬ覚悟はできています」。
ネルソンマンデラ、1964年の国家反逆罪裁判にて。

1964年、ネルソン・マンデラ (1918~2013) は祖国である南アフリカに対する国家反逆罪で有罪となりました。

死刑は何とか免れたものの、46歳の弁護は、ケープタウン沖の監獄島での終身刑を言い渡されました。

マンデラの罪状は、南アフリカでアパルトヘイトと総称される人種差別的な法律に対する抵抗運動を組織したことでした。

アパルトヘイト(人種隔離政策)により、国民の4分の3を占めていた南アフリカの黒人は政治的権利の多くを認められず、 少数派である白人より法律的に劣った存在に押しとどめられていました。

収監は、マンデラの闘争心を打ち砕くのが目的でした。

彼は、採石場での重労働を強いられ、面会は年にひとりしか許されず、小さな独房で電灯を消すことは絶対に認められなかったそうです。

マンデラが率いる政党アフリカ民族会議(ANC) が反アパルトヘイトの武装闘争を容認していたため、 南アフリカ政府はマンデラをテロリストと見なしていました。

支配者層である南アフリカの白人は、 17世紀以降オランダとイギリスから南アフリカへ移り住んだ入植者の子孫であり、国内で支配権を手中に収めておくためアパルトヘイトを強要していたのです。

しかし、マンデラは挫けませんでした。
刑務所の壁の中からANCの指導を続けました。

その揺るがぬ決意に、看守たちからも尊敬を集め、刑務所の外では、 マンデラは南アフリカだけでなく世界各地の何百何千万という黒人たちの英雄となり世界の注目が集りました。

1990年、国際社会の圧力を受けて、 南アフリカの白人政府はようやくアパルトヘイトを廃止し、 マンデラを刑務所から釈放しました。

彼は1993年のノーベル平和賞を受賞し、1994年に南アフリカ初の全人種選挙が実施されると同国の大統領に選ばれました。

マンデラは当選後、監獄島にいた白人の元看守をひとり、自分の誕生日パーティーに招待しました。
この老看守は、アメリカのテレビ局PBSの取材に対し、「私が見張っていた収監者のひとりが私の指導者になったことを、たいへん誇らしく思いました」と語っています。

世界で最も尊敬された政治家のひとりであったマンデラは、1998年、大統領職を退き、2013年に逝去しました。

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