意外と知らないバスケの考案者
- 2023.04.15
アメリカ三大スポーツ、野球、バスケットボール、 アメリカンフットボールのうち、真の考案者がいるのはひとつしかありません。
1891年12月21日、 カナダ生まれの体育教師ジェームズ・ネイスミスは、マサチューセッツ州スプリングフィールドの学校で、桃を入れるバスケットを2個、 体育館のこちら側の壁と向こう側の壁に1個ずつ釘で打ちつけ、 学生たちにサッカーボールを渡すと、 自ら考案した新しい競技のルール13か条を説明しました。
こうして生まれたのが 「バスケットボール」 です。
ジェームズ・ネイスミス(1861~1939) は、 両親がスコットランドからの移民で、カナダの現オンタリオ州で生まれ育ちますが、9歳で孤児となりました(両親は腸チフスで死亡)。
15歳で高校を中退して木こりとして働きますが、しばらくして復学し、その後マギル大学と、牧師になるため進んだ長老派神学校とで学位を取得しました。
1890年、 彼はスプリングフィールドにあるキリスト教青年会(YMCA) 訓練校の生徒となり、翌年に同校の体育教師になりました。
その際、 彼と生徒たちは、フットボール・シーズンと野球シーズンに挟まれた冬のあいだYMCA の青年たちが実施できる屋内活動を考案せよとの課題を与えられました。
当時、屋内での運動と言えば、基本的に手ぶらでする体操と器械体操しかなく、男性の多くはどちらも退屈極まりないと思っていました。
新競技には、「すべての参加者が正々堂々とプレーし、 ラフプレーがないものにする」 という条件のみが課せられました。
ネイスミスの考案した競技は人気を博し、 13か条のルールはすぐさまスポーツ雑誌に掲載されて、熱狂的な支持を得ました。
その後の数年、 ネイスミスは、 競技規則を現在に近い形に整備するなど、 バスケットボールの発展に中心となって関わり続けました。
1898年にカンザス大学で職を得ると、大学チームの監督を10年間務め、その後も78歳で亡くなる直前まで、 同大の体育局長と大学付き牧師を務め続けたのです。